高校生のアタマの中
「もし、この教室にテロリストが入ってきたら・・・」
高校生が授業中にする妄想ランキングを付けるとしたら、必ず上位に入るであろうこの妄想。例に漏れず私も、「不思議な力を得たオレが、意中のあの子を守りながらテロリストをバッタバッタとなぎ倒す」という妄想をしていました。
健全な高校生なら必ず通る道、「妄想」・・・。
授業は退屈なもので、ボケーっと現実逃避しているところを「集中しろォ!」と、先生の怒号で目を覚ました経験ってありますよね。みんなが注目してクスクス笑っていて、クラスのマドンナも笑っていて、恥ずかしい思いをして・・・。そんな時窓の外に目を遣ると、、、あれ、、、校庭が地割れしていて、中から巨人が顔を覗かせているではないか・・・!そしてオレの第三の眼が開眼し、超常的な力を・・・・・・ーーー失礼しました。ついあの頃の癖が。
今考えると、高校生活とは単調なものでした。毎日同じ時間に登校し、毎日同じ友達と会って、決められた学校暦と時間割の中で過ごす。それがつまらない訳ではないのですが、行き場を失った逞しい想像力は、妄想という形でしか消化することができなかったのでしょう。
異世界なのに、ノスタルジックな「E高」という舞台
本書は妄想をそのまま形にしたような不思議な世界、「E高」を舞台としたショートショート集です。感情が昂ぶると発炎するクラスメート、花粉症と似た症状の数学アレルギー、授業中本当に「船を漕いで」眠ってしまう生徒たち・・・。
およそ現実世界ではあり得ない現象がE高ではそこかしこで起こります。
不思議ではありますが、彼らにとってはそれが普通の高校生活で、かけがえのない「青春」です。そして更に不思議なことに、読み進めれば読み進めるほどに私にもこれが「青春」なんだと、妙な説得力を持ってノスタルジーを感じさせます。高校時代に妄想していたあの時のような感慨が蘇ってくるからでしょうか。
妄想がリアルに侵食する時代
多くの日本人は「高校」という言葉から「青春」を想起することと思います。それはクラスがあり、周りには常に同じ友達がいて、勉強や部活、そして恋愛に情熱を注ぐという、人生で今後二度と経験出来ない尊さやかけがえのなさを感じるからです。
ところが現代では、私たちの想定する青春とは全く異形の青春が生まれようとしています。例えば今年から「N高校」という通信制の学校が開校されました。高校生がほぼオンラインのみで繋がる新しい教育のスタイルを提唱したことで話題になりました。
私たちが経験してきたような、リアルな距離感を持った関係性が変わろうとしています。オンライン主体の高校生活それ自体には、寂しさも感じてしまいます。場所に依存したコミュニケーション、例えば、偶々後ろの席に座った女子がちょっと可愛くてそれだけで恋に落ちてしまうなんてことはもう無いのでしょう。
しかし、よく考えてみてください。
「家にいるまま授業を受けられたらいいのに。」
そんな妄想、しませんでしたか?私はたぶん高校在学中の3年間で300回以上はこの妄想をしたでしょう。「N高校」のニュースを聞いた時「全世界の高校生が望んでいることが形になった!」と感動に打ち震えていました。妄想が現実世界に勝利した瞬間といえるでしょう。
こんな現代だからこそ感じる「物語」のリアリティ
妄想がリアルを侵食していく現象は今後も増加することでしょう。技術の進歩と共に、人の望みは満たされる一方です。
E高生のI君が実践している勉強法である、問題集を卵のように「溶いて」すするだけで頭の中にインプットされたり、N君のように、自分の「層」をバラバラにしてもう一人の自分を作ったり・・・。あったらいいなあ。と妄想する内容はもしかしたら10年後、20年後には現実社会に実装されているかもしれないのです。
しかし一方で望んでもいない文明の発達もあります。星新一さんのショートショートは、少し未来の文明や社会を批判するような寓話性に富んでいます。私は星新一さんを「日本妄想界の巨匠」と考えています。妄想の世界で起こる事象を省みることで、現実で無視することの出来ない事実を発見する。それが彼の生前の飽くなき創作活動の原動力になっていたのでしょう。
彼はそんな姿勢を象徴するような言葉を残しています。
「想像は楽しい。しかし、事実の発見はそれより一層大きな喜びである。」
本書は「そんなわけないだろ!」とツッコミを入れたくなるような出来事の連続です。授業中に妄想していたような突拍子の無いこと。しかし、それは私たちが生きている内に現実になり得るかもしれないことです。
「E高」の門をくぐれば、きっとあなたもそんなリアリティを持つ妄想世界に出会うことができるでしょう。そして、その妄想は現実世界を生きるあなたに、重大な事実を浮かび上がらせる貴重なきっかけとなるかもしれません。