ヴィジュアル系シーンには、「雨」にまつわる曲が多く存在する。
GLAYのデビューシングルも「RAIN」であるし、X JAPANの代表曲の1つに「ENDLESS RAIN」というものがある。それ以外にもthe GazettEの「生暖かい雨とざらついた情熱」、SIDの「私は雨」と曲名をあげれば枚挙に暇がない。
そこで、本日はロックの日(6月9日)を記念し、オンラインサロン「浅井博章のヴィジュアル系集会」を主宰するラジオDJ・浅井博章氏に「雨」にまつわる一曲をとりあげ、その思い出を語って頂いた。
今回取り上げるのはJanne Da Arcの「Rainy ~愛の調べ~」という曲だ。
ヴィジュアル系シーンに興味がない人でも「Janne Da Arc」というバンド名くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。梅雨で気持ちが沈んでいる方や、まさにこれを読んでいる今雨降りの日を過ごしている方は、これも何かの縁だと思って一読して頂けたら幸いだ。
「君との想い出だけは 一つも雨に流れない」
雨の日にこの歌を聞くと、思い出す人がいる。
Janne Da Arcが活動休止期間に入って、早いもので10年が経った。ヴォーカルのyasuはAcid Black Cherryとして活動を継続し、今やバンド時代を凌ぐ人気を獲得しているが、人気絶頂でバンドが止まってしまったということもあり、Janne Da Arcの活動再開を望む声は多い。
再結成・再始動が相次ぐヴィジュアル系シーンではあるが、Janne Da Arcは“復活しそうでしない”最後のバンドといえるだろう。
大阪、枚方市で幼馴染が集まり結成された5人組・Janne Da Arc。ヘヴィーメタルの影響を強く受けた激しいサウンドとテクニカルなギター、そしてキーボードのいる編成を生かしたアレンジに特徴がある。yasuの歌唱力にも定評があったが、彼はライブでのステージングとMCがずば抜けておもしろかった。
結成後順調に知名度を上げたJanne Da Arcは1999年に結成から3年でメジャーデビューを果たすこととなる。しかしその数年前からわき起こっていたヴィジュアル系ブームはすでに鎮静化しつつあった。シーン全体が失速していく中でのデビューということもあり、CDの売り上げはなかなか上向かなかったが、ライブの動員が落ちることはなかった。
転機はデビューから6年目の2005年。アニメ主題歌にもなったシングル「月光花」のヒットで名実ともにブレイクを果たした彼らは、念願だった地元・大阪城ホールでの凱旋ライブを実現させた。
多くのアーティストは、デビューから2〜3年後に人気のピークを迎えるものだ。メジャーデビューしてから6年間もずっと右肩上がりのグラフを描き続けるアーティストは滅多にいない。特にヴィジュアル系の世界では、ここまでじわりじわりと動員を伸ばしてブレイクに至った例というのは、過去に聞いたことがなかった。
まして世間から「ヴィジュアル系は、終わった」と見られていた時期だ。デビューした頃に、いずれJanne Da Arcが大阪城ホールでライブをすることになると思っていた人は少ない。僕も当然そんなことは予想していなかった。
しかし、彼らがまだ300人ぐらいのライブハウスで頑張っていた頃から、いつかJanne Da Arcが大阪城ホールのステージに立つということを信じて疑わない人も、もちろんいただろう。
その中の一人、僕の友人の話をしたい。
彼女は、インディーズのヴィジュアル系シーンを扱うCSのテレビ番組でディレクターの仕事をしていた。番組を通してさまざまなバンドを応援していたが、その中にJanne Da Arcがいた。すっかりこのバンドの虜になり、ライブにも足繁く通うようになったが、彼女はあくまでも業界人。他のファンのようにフロアでライブを楽しむことは許されない。仕事相手として彼らと接する以上、ファンという立場を捨てなければならない。
そこで彼女は1本のバングルを買った。デビューシングル「RED ZONE」のジャケット写真で、yasuが腕につけていたのと同じものを。
彼女にとってそのバングルは、自分が彼らのファンであることを封印した証だった。そして、バングルに「いつかJanne Da Arcが大阪城ホールでワンマンをする日まで、はずさない」という願をかけた。
最大10,000人を超える収容人数を誇る大阪城ホールは、日本武道館や代々木競技場第一体育館に匹敵するほどの大箱だ。特に人口密集地である東京以外の地でこのクラスの大箱を埋める難易度は、メジャー音楽シーン全体で見ても相当高いとされている。
彼女は、デビューから数年なかなかヒット曲が生まれない状況でも、いずれ彼らがその大阪城ホールのステージに立つと信じて疑わず、Janne Da Arcを応援し続けた。
しかし、彼女が大阪城ホールで躍動するJanne Da Arcの姿を見ることはなかった。願いを込めたバングルを腕にはめたまま、彼女は2002年に事故で他界したのだ。まさに青天の霹靂であった。
それでもいつも彼女と一緒にJanne Da Arcを応援していた別の女性が、そのバングルにかけられた願いごとそれを受け継いだ。その日から3年間、その女性は亡き友がそうしていたのと同じように、一度もそのバングルを外さずに過ごした。
そして迎えた2005年3月27日。メンバー自身にとってもインディーズ時代からの悲願でもあった大阪城ホールでのワンマンライブが実現することになる。
ライブ当日に、あの日から3年間左腕につけたバングルを一度も外さなかったその女性から、「今日のライブが終わったら、バングルをはずします」というメールが届いた。今日、亡き友人とともに紡いだ願いが、ついに実現するのだ。
1万人もの観客が集まったライブは、本当に素晴らしいものだった。最高にかっこよくて、最高に楽しかった。本当にビッグになったんだなぁと、感慨深くもあった。
そのライブの、アンコールで披露されたのが「Rainy〜愛の調べ〜」だった。静まり返った大阪城ホールに、冒頭の歌詞が響いたとき、僕は急に彼女のことを思い出してしまった。
彼女がずっと夢に見ていた景色が、今僕の目の前に広がっている。それなのに。Janne Da Arcのファンが1万人も集まっているのに、彼女だけがここにいない。それがどうにも不憫で、気がつくと僕は泣いていた。
yasuの優しい歌声を聞きながら、タオルに顔を埋めて泣いた。訃報を聞いた時も、葬式でも、火葬場で見送った時も、僕は涙など流さなかったのに。彼女がこの世にいないという現実が、これほど悲しかったことはなかった。このライブだけは、見せてあげたかった。今日一日だけ、僕の体と魂を入れ替えてでも、見せてあげたかった。
そんな僕の願いが届いたのかどうかはわからない。けれど彼女がそこまで強く大阪城ホールのライブを待ち望んでいたことは、Janne Da Arcのメンバーにも伝わっていたらしい。
さて、そんなJanne Da Arcの活動再開はいつになるのだろうか。
このバンドでなければ紡げない音があり、このバンドでなければ満たされないファンの思いがある。そしてこのバンドでなければ癒やせない傷もあるだろう。
冒頭の歌詞は、
「君との想い出だけは 一つも雨に流れない
短すぎた季節の中で まだ君が笑ってる」
と続く。
亡くなった人に向けたラブソングではない。しかし僕はあの日以来、窓外の雨を眺めながらこの美しいメロディーを聞くたびに、どうしても彼女を思い出してしまうのだ。
オンラインサロン「浅井博章のヴィジュアル系集会」では、ラジオDJ・浅井博章氏による様々な爆寸定番曲解説を聞くことができる。現在のところ、Janne Da Arc のJudgement 死神のkissやpulse_/lynch.、蘭鋳/MUCC、X/X、彼女の“Modern…”/GLAY、ALKALOID/Laputa、現代的疑惑都市‘DOUBT!’/FEST VAINQUEURなどなど…数多くの曲について浅井氏による爆寸的楽しみ方や思い出、裏話が語られている。
オンラインサロンでは爆寸定番曲解説の他に、爆寸物語や音楽業界のアレコレについても読むことができる。もちろん、浅井氏に解説してほしい曲をリクエストすることもできる。
憂鬱な雨の日は、「浅井博章のヴィジュアル系集会」に参加して、ゆっくりと音楽に身を委ねてみてはいかがだろうか。