特集「挑戦前夜」〜作家・猪瀬直樹〜

著者名シナプス編集部
特集「挑戦前夜」〜作家・猪瀬直樹〜

卒業や就職を迎えるこの季節。新たな「挑戦」をしてみたいと考えている人も多いはずです。

この特集では、様々なジャンルのトップランナーに、その後進んでいく道を決定づけることになったきっかけ・決心について伺い、各人の挑戦前夜の様子を描き出します。

 


猪瀬直樹

作家。1946年長野県生まれ。86年『ミカドの肖像』で第十八回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2002年6月末、小泉純一郎首相より道路公団民営化委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。

2007年6月、東京都副都知事に任命される。2012年に東京都知事に就任、2013年12月、辞任。主著に『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『道路の権力』『道路の決着』(文春文庫)、『昭和十六年夏の敗戦』『天皇の影法師』(中公文庫)、『猪瀬直樹著作集 日本の近代』(全12巻、小学館)、『さようならと言ってなかった わが愛わが罪』(マガジンハウス)、『救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人』(河出書房新社)、『民警』(扶桑社)、『東京の敵』(角川新書)他多数。


昭和21年生まれの猪瀬直樹が『天皇の影法師』で単行本デビューしたのは、昭和58年のことだ。そのとき猪瀬は36歳。大学を卒業してから13年後、大学院卒業から数えても8年後である。現在の彼を見ていると、その沈潜期の長さに驚く。

そのうち二十代も終わりそうになりました。モラトリアムとしても期限切れの引導を渡されるようなものです。母親に、ほとんど冗談ですが、俺はどうなるんだろうね、と訊きました。すると、母親は、そうだねえ、と少し哀しい顔をして黙ってしまいました。

『俺の青春放浪』「迷路の達人?」P.45 文春文庫 

モラトリアム期の長かった猪瀬にその季節について聞いた。猪瀬直樹が未だ何者でもなかった時代について。 

少年少女は無意識の天才

「全共闘運動のときはリーダーやってたから、みんなは就職活動してたけど僕はできなかった。運動に責任があったからな。大学は単位が足りてなかったけど、学校には無理やり卒業させられたんだよね。僕みたいな厄介者には早く出ていってほしいから。僕だってあんなところ早く出たかったよ。でも、卒業後に新聞広告で求人を探したんだけど、変な求人しかない。新卒プレミアムっていうのは当時からあって。大学生のときの僕はそんなことまったく知らなかった()。新卒で入社しないと受け入れてもらえないんだよね。今でもこの風習があるなんて本当信じられないよねえ」

就職先も決めずに大学を出た猪瀬は、二十代の内に名刺を十枚も取り替える人生を送ることになる。

「それでちっちゃい会社になんとなく入ったりして、何度も仕事を変えた。ある時は工事現場の親方なんかもやった。友達の友達の親が建設会社やってて、頼まれたんだよね。そいつはドラ息子だったから僕の方がマシだろうってことで。今でいう人材派遣業みたいなことをやったよ。学生運動が終わって間もないころ、みんな学校に戻らないから労働力は余ってた。東大中退者や高校中退者、いろんな奴らが集まってたよ。そのなかには、後に三菱重工爆破事件の犯人になる男もいた」 

しかしこの仕事も長くは続かなかった。オイルショックに伴う建設不況の時代がやってきたからだ。この業界はもうだめだと考え見切りをつけた猪瀬は、広告代理店のコピーライターやフリーライターの仕事をやりながら食いつないでいく。 

「文章を書きはじめた最初の頃は、職人的な仕事に徹してたんだけど、このころの記事を読んでくれた編集者に声をかけられて、本を書くことになった。自分でも少々自信がついてたころで、『これはいけるぞ!』って手応えを感じながら書いたのが、『天皇の影法師』と『昭和16 夏の敗戦』なんだ」

しかし、「20代の根拠のない自信は誰も認めてくれなかった」と言う。それでも猪瀬には自身の感性に対する確信があった。たとえば、「日本人はなぜ戦争に踏み切ったのか、当時全員が戦争に賛成して開戦したのか? そんなはずはない」という直観が猪瀬に『昭和16年夏の敗戦』を書かせた。

 「人はみんな一瞬天才なんだよ。」と猪瀬は言う。

「たとえばね、女子高生はおばさんを見て一言『ダサい!』と言ってしまえば勝っちゃうんだ。なぜなら女子高生のセンスや感性は時代の最先端だから。この無意識の感性をいかにピン留めして守り続けるかが大事なんだ。高校生や大学生、そのくらいの年齢の少年少女たちはみな「無意識の天才」なんだ

猪瀬直樹の著作が古びることなく今でも読み継がれているのは、女子高生がおばさんに対して「ダサい!」と言うように、当時の評論家や作家たちに対してその言論の「古さ」をずばり指摘した本だからではないか、と猪瀬は振り返る。

さらに猪瀬は若さゆえの瑞々しい「無意識の感性」を自覚化することが大切だと付け加える。

「『無意識の感性』をピン留めして普遍化できなければ、結局その女子高生もおばさんになってしまう。感性なんていうと、生まれ持ってのセンスの話かと思うかもしれないけど逆だよ。感性というのは古びていくものだから、若いうちから『なんで私はこのおばさんを《ダサい》って思うんだろう』っていうのを考えて、自分の感性を論理立てて説明できる必要がある。それを絶えず続けてきた人は、傍から見たら『根拠のない自信』に見えても、本人からしたらはずっと考え続けた結果の『自信』だから。本当は根拠があるんだよね。それを形にして見せるのが難しいってだけなんだ。『自分は◯◯だ』と説明するために考えつづけ、言葉を尽くしつづければ、ずっと少年少女でいることができる」

自分自身の感性を信じ、その感性をファクトに基づいて論理的に実証し、人々に説明するために懸命になること。その過程を経ることで、少年少女の自信はかたちづくられるのだ。

心のシャッターを切れ! 記憶は感動であるということ

少年少女でありつづけるということはつまり、そのときどきの記憶を忘れないことだ。猪瀬の言う「無意識の感性をピン留めする」は具体的にどういう感覚なのだろうか。

「僕がむかしのことをよく覚えているのは、いちいち感動しているからなのかもしれないな。僕の記憶はシーンがデジタル化してるんだよな。そのシーンがエピソードと結びついてアーカイブ化している。おもしろい話を聞いたり、美しい光景を見たり、いい文章に出会ったり、一つ一つのシーンが、感動したエピソードと結びつくことで記憶に残る」

猪瀬の著作は一般的には「ノンフィクション」だと言われることも多いが、猪瀬はそれをいつも否定する。彼が書いているのは小説だからだ。たとえば、彼は自分が実際に取材したことについて「僕」という主人公を物語に投入して語り起こしていく。また徹底した描写によって「シーン」を立ち上げることにも抜かりがない。

 「映画で考えると分かりやすいんだけど、映画と同じように小説や論文も全部シーンによって構成されたときに良い文章になるんだよ。映画監督がシーンを撮るように、小説家は文章でシーンをつくる。言葉はすべてシーンになる必要がある。結局シーンを描けるかどうかっていうのは、日常生活のなかでどれだけシーンを覚えたかにかかってるんだよね。日常生活のどういうところで記憶のシャッターを切っているかということ。スマホのシャッターじゃなくて心のシャッターを切ってるんだよ

私たちはみな、幼いころ好奇心を持って世界に触れ、見るものすべてを喜んだ。猪瀬は《好奇心=感動》だと言う。

好奇心ってのは感動することだ。好奇心を持って世界を見ていれば、世の中は感動するようなシーンに溢れている。感動してシャッターを押して記録されたシーンが、どれだけ脳内にデジタル化され残っているか。そういうことが、それからの人生に大きく関わってくる」

好奇心を絶えず働かせておくこと。いつでも感動できるように備えておくこと。心のシャッターに常に指をかけておくこと。それらが無意識の天才たちの記憶をピン留めするために必要なのだろう。

なぜ猪瀬直樹は天皇について書いたのか

若き日の猪瀬が心のシャッターを切ったのは「天皇」にまつわる風景であった。『天皇の影法師』や『昭和16年夏の敗戦』の後に出版した『ミカドの肖像』は、猪瀬直樹の瑞々しい感性によって切り取られた代表作である。

この著作の第14章「三島由紀夫の風景」は、修士論文が元になっているというが、猪瀬はなぜこのテーマを選んだのだろうか。

「『ミカドの肖像』ってみんなはプリンスホテルの話だと思っているけど、そうじゃないんだよね。修士論文では志賀重昂の『日本風景論』と三島由紀夫の関係や、日本のシンボルとしての富士山を見ていくことでナショナリズムとは何かを解き明かそうとしたんだ。その試みが『ミカドの肖像』に結実している。当時は-まあ今も変わらないのかもしれないけど、みんな「ナショナリズム=排外主義」だと勘違いしていたんだよね。だけど、ナショナリズムってのは国民国家の基本なんだ。だから誰もナショナリズムからは逃れられないんだ」

ナショナリズムは国民国家体制に生きるすべての人のアイデンティティの基本である。そのような問題意識が猪瀬に「ナショナリズム」に対する好奇心を掻き立てた。

「我々は富士山を当たり前の『風景』として見るけど、富士山はある種の記号に過ぎないんだ。国粋主義者の志賀重昂が『日本風景論』で富士山を日本のシンボルにしたから、僕たちはあの山を見て日本という国を感じるんだ。江戸時代までは『兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川』が風景だった。自分の触れられる範囲までが故郷(カントリー)なんだ。でも黒船がやってきて日本はひとつの国にならなければいけない。北海道と沖縄で風景はぜんぜん異なるけど、それでもひとつの国としてまとまることがナショナリズム、国民国家なんだ」

あくまでも「駿河の富士であり、関東の高山としてのローカルな存在に過ぎなかった富士山」は、日本という国、概念が成立するためのシンボルとして機能した。そして、同様に天皇も「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」になる。 

「富士山や天皇という記号って一体何なんだろうという疑問を大学院生の頃からずっと考えていたことが、10年後『ミカドの肖像』に結晶したんだ。しかしこの記号の謎は、まだ誰も解き明かしていない。「生前退位」の論争があるけど、僕が『天皇という存在は近代合理主義じゃ語れない』と言いつづけているのは、こういう問題意識からスタートしているからなんだよね」

ミカドの肖像 (小学館文庫)

以前のインタビューで猪瀬は「すべての人間とっての疑問は『自分の存在』だ」と語ってくれた。自分とは何か、実存にかんする問いを絶えず探求することが人生である、と。猪瀬にとって天皇について考えることはつまり「自分とは何か」を考える道程で避けては通れなかったのだ。

「今は趣味もライフスタイルも多様化していて、それぞれみんなタコツボ化した日常性のなかに埋没しているから「国家なんて関係ないよ」という手合の人が増えているけど、本当はそうじゃないんだ。こないだWBCが盛り上がって視聴率は20%超えてたよね。ふだんは野球を見ないような人がナショナルチームの試合になると、熱狂的に応援する。サッカーのワールドカップだってそうだよ。ああいうのはまさにナショナリズムだ。別にそれは悪いことじゃなくて、自分とは何なのかって考えるときに、日本人である自分が日本チームを応援する行為について考える。日常にいる自分だけを見ても自分自身の全体像は把握できない。自分が成立している要件のなかに「国家」という要素は絶対に入ってくる、僕はそのことをずっと考えているんだ」

日本人の持つ時間軸

猪瀬直樹は教養をつけるためには「古典を読む」ことが大事だと言う。猪瀬もまた、日本人の国家観を追う中で、自身が体験していないシーンを語り起こすために数多の古典を参照してきた。しかし猪瀬がここで言う古典とは一般的なそれとは異なる。

「僕が言う『古典』ってのは自分が生まれるより前の本のことなんだよ。たとえば26歳だったら27年以上前のものは古典だ。『源氏物語』だけが古典じゃない。自分が生まれてからの世界は実感できるけど、生まれる前の世界のこととなるとそうはいかない。生まれる前の世界や出来事について実感を与えてくれるのが古典だ 。実感だけで生きてたらサルといっしょだ。古典から得られる知識や、そこに描かれたシーンをベースに再構成して自分なりの時間軸と空間軸をつくる。そうして自分の座標軸を定めることが重要なんだ」

しかし、古典を読んだ若者が歴史のなかに自分を位置づけようとしたとき、彼は自分の生きる時代を肯定的に捉えられるだろうか。「失われた20年」と言われる若い世代は、高度経済成長からも、バブルからも遅れてやってきた。

「だから僕はオリンピックを招致したんだよ。オリンピックが決まったのは2013年。あのときみんな7年後に『僕は、私はどうなっているだろう』ってイメージしたと思うんだ。オリンピックは日本人の時間軸の中に参照点をつくるイベントだ。つまりそこに新たな時間軸ができているわけだ。『失われた20年』と言っても、時間は着実に流れていた。そういう隠れていた歴史的時間軸を改めて顕在化させたかった」

猪瀬が歴史について考える時、その射程は未来にも向いている。

この考えを聞くと猪瀬直樹の思想の一端が理解できる。処女作『天皇の影法師』では、家長としての責任を全うしようと大正に続く元号を考えぬいた森鴎外について書いた。猪瀬は、常に《歴史》について考えていたのだ。 

家長としての責任

しかし、そもそも猪瀬直樹は政治の道に進んだのだろうか。

「僕は道路公団民営化を自分で実行することが、政治に携わることだとは捉えていなかった。作家として考えてきた自分のビジョンを具現化するに過ぎなかったんだよ。だから、僕はずっと作家としてやってきてるんだ。まあ小泉さんに『民営化できるよ』って言っちゃったしやるしかないよな()。国会議員は誰もやらない、委員も次々に辞めていく。それでも僕は責任があると思っていたから、最後までやりきったんだ。家長としての責任を意識したら自然と道路公団民営化を進めることになり、石原さんに頼まれて副都知事になり、都知事になった」

その石原慎太郎は高校生のときに父を亡くしている。彼は『歴史の十字路に立って』のなかで次のように述懐している。

父の突然の死は私たちの生活に大きな変化をもたらした。それまで心配したことのなかった収入が途絶えた上に、弟の放蕩が重なって、我が家の財政は見る見る崖っぷちまできていた。私は家長たる責任を全うした父の姿を見ていたから、父が死に、周りの好意が私に新家長としての責任をかぶせてくるのを几帳面に受け止めていた。

『歴史の十字路に立って』P.61

他方で、猪瀬直樹3歳の頃に父を失っている。父の記憶をほとんど持たない彼もまた「家長としての責任」を強く感じているのはなぜだろうか。

「それは『天皇の影法師』を書くうえで作家・森鴎外を見て考えた『やっぱり誰かが責任取らなきゃしょうがないじゃないか』という使命感からきてる。僕が大学生時代にやってた学生運動は反対するだけで、対案は持ってなかった。要するに責任感がないんだよ。反対するだけならラクだろ? メディアもそうだけど、中道左派的なコメントをしていればいいわけじゃない。対案を出さない反対っていうのはダメだ。『お前ならどうする?』と問われたきに答えられないとだめ。その答えを20代のあいだずっと探してたんだよね」

猪瀬直樹20代のころの問いに今なお真摯に向かい合っているのだ。彼は常に好奇心旺盛に世界を眺め、世の中に対して問いを立て続けている。

 人生はリーグ戦

そんな猪瀬直樹が今、世に問いたいこととは何なのだろうか。猪瀬は先日出版した『東京の敵』のなかでこんなことを言っている。

いま振り返っても※一連の報道はやり過ぎであり、ファクトとロジックによる問題提起ではなく、感情的な批判やつくり上げられた疑惑が先行していました。(中略)日本はともすれば二度と表舞台に立てないような感情の突風が吹きます。今回、都政の問題について声を上げることにしたのは、敗者復活を許さない社会への異議申し立ても含んでいます。

『東京の敵』 P.193

(筆者注:一連の報道とは、猪瀬が都知事を辞任するに至った徳洲会問題についての報道のこと)

「日本のシステムはトーナメント式になってることが多いよな。受験や就職活動は、一度負けたら次はないという仕組みばかりだ。甲子園じゃないんだから。僕だって新卒で就職できなかったから正規のルートは厳しかったよ。せっかく才能があっても一度負けたら日の目を見れないっていうのはちょっとおかしい。でもさ、例えば大相撲なんかはリーグ戦。15日間取組があって、たとえ7回負けても8回勝てば勝ち越しになる。日本は受験とか就職活動とかのせいで一度負けたら終わりだと思いがちだけど、本当の人生はリーグ戦だ。常に敗者復活のチャンスはあるんだよ。僕だって新卒入社はできなかったけれど、作家として食っていけるようになった。人生はリーグ戦だという現実は、トーナメントシステムによって隠されているけど、厳然としてあるんだ。今回の本を書くことで僕はそのことを示したかったんだよね」

猪瀬自身がまさに都知事時代の悔しさを挽回している最中にいるのだ。

最後に猪瀬は「挑戦前夜」に眠れない若者への言葉を語った。

「若者は見晴らしのいいところに立っている。だから年配者よりも未来を切り開けるんだよ。高台から遠くの未来まで見通せるっていうのが若いってことなんだ。そういう場所に自分が立っていることを自覚して、未来をつくっていかなくちゃならない。僕が見晴らしのいいところに立っていたときに考えたことは、『昭和16年』とか『ミカドの肖像』になった。これらの本に書かれたアイディアや思考は未だ古びてないから、今なお読み継がれている。少年少女のうちに感性をピン留めできなかった人間に見える世界はどんどん狭まっていく。だからその展望台から見た景色の思い出を、ちゃんと心のシャッター切って記憶しておくことだね。だんだん山を下ってくだけだから」

「才能とは、ものごとを吸収する力のことなのだ」と猪瀬は語る。未来を切り開くためのスタイルをつくるためには、心を常に開かなくてはならないのだ。

 「若いうちは斜に構えて『僕はなんでも知ってんだよ』って顔してキザを気取る奴がいるけど、それじゃダメなんだよ。そうやって感動する機会を排除したらダメなんだ。スノッブとホンモノって見た目には紙一重だけど決定的に違う。ポーズから入ってる奴は感動を弾いちゃう。中高生って先生を馬鹿にしがちだけど、先生って実は良いこと言ってるんだよね。自分の挫折話とかをボソッと語る。それを聞いてるかどうかなんだよな。自分のスタイルをつくるためには、スポンジのように吸収する力が必要だ。感動は栄養だから。栄養を補給してたら自ずから伸びていくよ。僕が若いころは、文学青年ヅラしてモダンジャズなんか聞きながらタバコぷかぷかしてポーズばっかりキメてる奴らばっかりだったけど、みんな消えてったよ。僕は黙ってても文学青年だったんだ。形だけやってるやつはダメだよ」

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