宮崎市と東京都港区でデュアルライフをしながら、ひとり起業プロデューサー、Webメディア戦略コンサルタント、ライフチェンジクリエイターとして、日本全国で講演、セミナーを行なう関達也さん。
縦のつながりではない「起業家ネットワーク」の横のつながりを生かし、「ひとり起業家(マイクロプレナー)」の卵たちが自由に生きられる環境を作りあげようとしています。
17期目となるS・マーケティングジャパン株式会社代表取締役として、日夜忙しく全国を飛び回りながらも、関さんには「上から目線」のところがありません。小規模セミナーでは参加者の話によく耳を傾け、「良いお兄さん」の雰囲気を漂わせています。
実は、関さんは引きこもりをしていた時期があります。どうして今はこんなに「聞き上手」になったのか。関さんのこれまでの足取りを辿るうちに、人生から導き出したマインドが見えてきました。
父親がイヤで、宮崎がイヤで。ギターで東京に出ようとした「のぼせもん」
–関さんは、セミナーをたくさんやっていらっしゃるので、お話上手ですが、それ以上に聞き上手です。今の関さんになるまでの、子どもの頃からの話を教えてください。
小学校の頃は、目立ちたがり屋なのに恥ずかしがり屋でした。父親がとにかく厳しくて、「お前は、女みたいな男だ」とけなされて。おっかない父親から早く逃げ出したくて、家出も何回も考えましたね。
一方、母は超がつくくらい楽観的で、僕のことを褒めちぎってくれるんです。父があまりにも厳しかったので、母に救われていました。今でも僕の中にある母の楽観的な側面が出ると、何でも良い方に作用しますね。
–関さんは見た目がシュッとしていますが、スポーツはやらなかったのですか?
スポーツもやりました。小学生の時は無理やり地区のソフトボールのチームに入れられ、高校はユニフォームとか見た目のカッコ良さでサッカー部に入るんですけど、その頃、一番夢中になったのは音楽です。
中学3年の時、テレビの局数が少ない宮崎でもMTVのミュージックビデオが流れたんですよ。デュラン・デュランとかマドンナとか。そこからカッコ良さ重視でギターを担当することになり、BOØWYの布袋寅泰さんにはやっぱり憧れましたよね。
高校は進学校に入ったのですが、音楽にのめり込みすぎて、成績が急降下しました。それで「僕は学校をやめて、バンドで食べていきます」と高校1年で宣言したのですが、親から担任からサッカー部の先生まで「高校までは出ろ」と説得されまして。スキルもないのに「東京に行けばギターのプロになれる」と思い込んで、「関東の国立大学で入りやすいところ」という理由で、千葉大学の教育学部に進学しました。
ギターで天下を取ると東京に出てきたものの、何をやっても続かない
–千葉大学に入ってから、ギターはどうしたのですか?
まず東京も千葉も人が半端なく多く、バンドのレベルも高くて、田舎者の僕は愕然としました。それでも入学時は、肩に鋲の付いた革ジャンを着て革パンを穿いて髪を立てて、BOØWYの布袋さんのように歩いていたら、いきなり春の校内イベントで演奏できるチャンスを得たんです。
でもその打ち上げで、お惣菜が載っていたお皿に注がれたお酒を飲めという無理強いを断ったら、サークル活動が気まずくなってしまって。在学中にいろんな人とバンドは組みましたが、プロで食べていく意欲はなくなっていきました。
–ギターの夢は早々に破れたのですね。
バンドへの興味が薄れると、今度はプロレーサーになりたい夢が出てきました。当時、千葉の幕張でゼロヨンやドリフト、横浜間の湾岸線の走行イベントが盛んに行なわれていて、ガソリンスタンドで働いていたことも相まって、車の情報がどんどん入ってくるんです。日産のスカイラインGT-Rなど、速い車を働いて買う欲が出てきました。
–それでも卒業が近づいてきます。就職はどうしたのですか?
就職活動もほぼせず、卒業後はフリーターをしていました。24歳の時、1年だけ会社員をやろうと塾講師になったのですが、入ってみると、勉強を教えるというよりも教室そのものの運営を任せる内容でした。実は、社員は僕に仕事を引き継ぐノイローゼ気味の教室長が1人だけで、あとは全員アルバイト講師だったんです。
小中学生をマイクロバスで送迎して、授業をして、親御さんの進路相談をして、アルバイト講師を面接して、生徒を増やすための宣伝をして。仕事のすべてが丸投げでしたし、休みもないし、「もし、アルバイト講師が送迎中に事故に遭ったら、僕はどうなるんだろう」と怖いことも考えるわけですよね。プロレーサーの夢も諦め、塾の運営はこれ以上続けたくない、さらに上から押しつけられた仕事は難しいと。それで起業することにしました。
今は失敗だったと思っていますが、初めのとっかかりはネットワークビジネスでした。事業資金のいらないところから始められたからです。
セミナーや仕事で「上から目線」にならないのは理由がある
–塾講師やバンドでステージに立つ経験もされたせいか、関さんは人前で話すのが上手だなと思うのですが、実は起業後、かなり長い間ひきこもっていらしたとか。
24歳で起業した頃は、周りに仲間がたくさんいるビジネスの成功者に憧れたんですよね。僕自身はコミュニケーション能力も高くないし、もともと引っ込み思案な性格でしたけれども。30歳前半に、信じていた人から騙されるビジネストラブルが2件あって、誰にも会いたくなくなってしまいました。
そこで人に会わずに商売のできるインターネットに特化したビジネスにシフトをして、稼げるようになったのですが、自分が人間的に向上していないと感じたんですね。「やっぱり外に出て、人に会わないと」と感じたのが、40歳手前。なので、30代の6~7年は、ほぼ引きこもりでした。
–そんなに人に会っていなかったのに、どうやって人と話せるようになったのですか?
いや、言葉を発することすらできなかったです。宮崎の同級生の飲み会に誘われても、人の話す話に笑っているだけ。たぶん僕の存在感すらなかったと思います。
きっかけはセミナーを始めたのが大きいです。ちょうどインターネット上にセミナーの案内が増えた時期で。最初は親や嫁の前でリハーサルをして臨んだのですが、せっかく来てくれた人ともアイコンタクトもできず。レジュメを見ながら、話すのが精一杯でした。
–その後、セミナーで全国を飛び回るようになります。「上から目線」で話さない、来てくださった方と同じ目線で話すようになったのは、いつからですか?
男社会は「先輩だから偉い、歳上だから偉い」とみなされる縦社会ですし、世間的に結果を出す人は偉そうに見える人が多いのかもしれないですね。
でも、「怒らない、威張らない、偉そうにしない」というのが、僕の当たり前のルールなんです。父親から叱責されるのも、大学の音楽サークルで無理強いされるのもイヤでしたし、サッカー部で上級生になっても偉そうな態度は取れませんでしたし。そういうバックボーンから自然にしていることですよね。
その夢は人の夢なのか、自分の夢なのか。大事なことは地に足をつけること
–起業した頃は、成功者の豊かな生活を見て憧れたそうですが、ブログに長女と長男と散歩をしながら、「普通に住むところがあって、普通にご飯を食べれて、普通に家族で生活できる今はなんて幸せなんだ!」と思った瞬間があると書かれていました。これは東京から宮崎にUターンした時の話だと思うのですが、どうしてこういう心境になられましたか?
成功者の人でポルシェを赤、青、黄色と、信号機のように色違いで持っている方がいらしたんです。ミニカー感覚で面白いなと。でも、その時期は自分の幸せが何なのかをわからないまま、「なんか幸せ」という漠然としたものに一生懸命向かっていたんですよね。それが起業後の11年間だったと思います。
ポルシェの例で言うと、外車を持っていたら幸せになる。何かをやったら、幸せが後に来る考え方です。でも本当の幸せは、自分の前にあるんじゃないかって。ショーン・エイカーの「幸福優位7つの法則」にも幸せを感じると成功しやすいというのがデータで出てきますが、散歩しながら思ったのは、まさにその境地ですよね。
–あと、関さんが東京であるセミナーにお客さん側で参加されて、スピーカーの方に質問する時に、「今日はいいお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました」と、まずお礼をする人が少なくて驚いたと話されていたのが印象的でした。人と接するにあたって、礼儀などで気をつけていることはありますか?
月並みですけど、感謝の気持ちを忘れないことですよね。東京でも宮崎でも家に神棚があって、神様にお願いするのではなく、「いつもありがとうございます」という気持ちでお祈りしています。
仕事でコンサルやセミナーをしているので、来ていただいたお客さんからは「ありがとうございました」と言っていただけますけど、最後に「こちらの方こそありがとうございます」と言っています。そういう気持ちはいつも大事にしていますね。
僕は、もともと宮崎のほかの拠点を東京ではなく東南アジアに置こうとしていました。でも今の僕が東南アジアでできる事業がまだ思い浮かばなかったので、ふと東京の港区にも住んでみようかなと。そんな思いつきがなければ、きっとこのDMMのオンラインサロンの話も来なかったと思いますし、人生ってわからないですよね。
(編集後記)
初めてお会いしてインタビューをさせていただいたのですが、昔から知っている方の人生の話を聞いているようで、まったく緊張をしなかったのは、関さんの人柄ならでは。
「関達也ライフチェンジラボ~人生を変える3つが待っている~」のサロンでは、生徒さんたちがさまざまなコミュニティーを作りあげ、活発な活動を繰り広げています。
そのアクティブな活動の裏には、関さんの「サロン内では、ポジティブな考え方を採用したいので、こういうことはしないでください」という明確な枠組みがあるから。起業を考えている人は、ぜひチラッとのぞいてみてください。仲間が増えること、請け合いです。