「わかる!」「ウチもです!」。仲間にそう言われて、人生で初めて安心感を得た人たちがいます。彼女、彼らが参加しているのは、宮澤那名子さんが主催する「ひだまりサロン〜親のこと、家族のことで悩む人のコミュニティ〜」。いわゆる「毒親に悩む人たちのオンラインサロン」です。
虐待とまでは言えないけれど、じわじわと確実に娘、息子を自らの支配下に置き、苦しめる「毒親」たち。自身も毒親に育てられた経験を持つサロンオーナーの宮澤さんは、親の問題を相談しようにも、なかなか周囲の理解を得られなかったと語ります。「ひだまりサロン〜親のこと、家族のことで悩む人のコミュニティ〜」は、そんな宮澤さんの経験を基にして作られました。
今回は、宮澤さんの毒親経験を語った記事「ひとりで悩まないで。『毒親』の種類と解決策」に引き続き、サロンからあかりさん(仮名)、りつ子さん(仮名)の2人の会員も参加しての“毒親バナシ”が展開されます。前後編の前半は、あかりさん(仮名)、りつ子さん(仮名)の「毒親エピソード」をショーケース的に紹介。自らも毒親育ちのライター横山が話を伺いました。
「毒親」という言葉を初めて見た時、「まさにこれだよ」と思った
--まずは「ひだまりサロン〜親のこと、家族のことで悩む人のコミュニティ〜」について教えてください。サロンはいつからスタートし、現在会員はどれくらいいらっしゃいますか?
宮澤:「ひだまりサロン」は2018年4月から始まり、現在会員は37名までになりました。「毒親」の話題は心の繊細な部分を話すので、専用アプリを使って匿名でコミュニケーションをしています。ですので、「この方はおそらく男性かな?」といった曖昧な判断になってしまいますが、男性も2〜3人いらっしゃるようですね。
会員の方は40代の女性が多い印象です。私は現在33歳なのですが、月1回開催している「毒親育ちのお話会」でも、主催者の私が一番若いということはよくあります。
--宮澤さんが「毒親」という言葉を知ったのはいつぐらいですか?
宮澤:20代後半です。初めて「毒親」という言葉を見た時は、「めちゃくちゃしっくりくる!まさにこれだよ」と思いましたね(笑)。そこから、世間に定着したのが2015年ぐらい。ようやく市民権を得た言葉になりました。
自分の親が「毒親」だとわかった時、嬉しかったですよね?
あかり(仮名):すごく嬉しかったですよ。私の人生でやっとしっくりきたよと。
親と共依存状態にあると、親を「毒親」と感じられない
--では、あかり(仮名)さんにお伺いします。自分の親が毒親だとわかったのは、いつ頃ですか?
あかり(仮名):ウチの母親がヘンだなと気づいたのは20代。でも、学生の頃は「ひたすら厳しい親」だと思っていたので、あまり違和感がありませんでした。
私は独身ですが、母が「毒親」だと確信したのは40歳になった昨年。「毒親」という言葉を5〜6年前から何回も聞いていていたのに、それまでは「まさか、ウチの親がね」と思っていました。
--昨年までお母さんが「毒親」と気づかなかったんですね。どうして昨年わかったのですか?
あかり(仮名):26歳で自立しようと実家を出て、一人暮らしを始めたのですが、私の30代は母親と別居ながらも完全に共依存状態でした。だんだんと40代に近づいてくると、実家に帰るたびに母と衝突するようになったんです。
母は突如怒りのスイッチが入って、終わりのない説教が1時間以上続きます。母と2人でいると、もう精神的にキツくて。それでInstagramに母の愚痴を書いていたら、結構「いいね」がついたんです。その時に、「あぁ、親で困っている人は私以外にもいっぱいいるんだ」って気づきました(笑)。
--他にも「毒親育ち」の方がいることを、Instagramで知ったのは面白いですね。ところで終わりのない説教では、お母さんに何を言われるのですか?
あかり(仮名):朝起きた瞬間から、母はまず機嫌が悪いんです。朝ごはんの支度をしながら「何で私が全部作らなきゃいけないのかしら。私、この家の女中じゃないのよ?」とか。
宮澤:うわあ、ウチと同じ! 母もまったく同じことを言っていました。
あかり(仮名):「何で私が?」から始まって、そこから文句がエンドレスです。「アンタは家を出ているから気楽でいいわね」とか……。でも、10分もしないうちに急に気分が変わるので、正直何が原因で怒っているのかわからない。そこで「言っている内容がさっきと違うよ」なんて指摘しようものなら、母はさらにキレるんです。
宮澤:私も母の機嫌が悪いというのが一番つらくて。あかり(仮名)さんじゃないですけど、私も母の怒りスイッチがどこにあるのかわからない。もう体中、全部スイッチなんじゃないかってほど(笑)。だから、自然と「母が笑ってくれさえすれば、私は幸せです」という感覚になってしまいました。今思えば、私の感覚自体がおかしかったんですよね。
--今、宮澤さんからお母さんとの共依存めいた話が出てきましたが、あかり(仮名)さんが実際に経験した30代の共依存はどんなものでしたか?
あかり(仮名):宮澤さんと同じで、今考えると本当におかしいと思うのですが、「お母さんのいうことが絶対」という感覚になるんです。週末、お盆、正月は実家に帰るのが当たり前とか、彼氏ができても母がいいという人じゃないとダメとか。でも母がOKを出す彼氏なんて、この世にいないんですけどね(笑)。
一同:あははは(笑)!
あかり(仮名):母は極端な価値観を押しつけるところがありました。例えば「自分から連絡を取らないと遊んでくれない友達は、本当の友達じゃない」とか、「仕事を変えることは悪いことだ」とか。私は割と転職をしているので、仕事が変わる度に罪悪感にさいなまれましたね。「私、お母さんの理想通りになれていないな」と。
あと、母は人を見るストライクゾーンが狭い。「大卒じゃないとダメ」とか、「なるべき職業は基本的に公務員」とか。今の時代、明らかにそんな価値観はおかしいですよ。でも、30代の共依存時代は、とにかく「お母さんがダメというものはダメ。いいというならいい」と、自分に足かせをはめていましたね。
「毒親」の何気ない言葉が細胞レベルで浸透してしまう
--りつ子(仮名)さんは、ご自分の親がヘンだなと感じたのはいつ頃でしたか?
りつ子(仮名):母をヘンだなと思ったのは20代でした。私は今、6歳の息子がいる46歳ですが、1995年ぐらいから「アダルト・チルドレン」(※)という言葉が徐々に出てきたんですね。その時に「私はアダルト・チルドレンだ」と感じたのですが、今の「毒親」のように考え方や概念が浸透していないので、周りの人に話してみても「そんな覚えたての言葉を使って」と、否定されるような感じでした。
※アダルト・チルドレン=幼いころに両親や身近な大人から受けた「トラウマ」を、ずっと癒すことなく大人になってしまった人を指す。
--毒親は大きく分けて「過干渉型」と「放置型」がいると宮澤さんは前回のインタビューでおっしゃっていますが、りつ子(仮名)さんのお母さんはどちらのタイプでしたか?
りつ子(仮名):ウチの母はどちらのタイプでもありました。自分が心配な事柄に関しては干渉して、すごくいろいろと言ってくる。そのかわり自分にとってどうでもいいことに関しては、放置でしたね。
--どんなことに関心があって、どんなことに関心がないのですか?
りつ子(仮名):わかりやすくいうと、ごく普通の親御さんが子どもに見せる関心とは真逆なんです。
進路などの大事な話をしようと、こちらが求めて母に近づくと、「うるさい」と言われて無視。進学、就職といった人生の大きなイベントに、母なりの強烈な安全志向があるらしく、チャレンジをさせない。「そんなのできっこないでしょう?」といった感じです。でも、思春期におしゃれをするなど、放っておいてほしい内容に関しては、ことごとく干渉してきました。
--お母さんの「そんなのできっこない」という一言で、りつ子(仮名)さん自身が変わってしまうこともありましたか?
りつ子(仮名):若い頃は親に否定されても反骨精神があったのですが、今ぐらいの歳になると、母の言葉がイヤに体に残るというか。母が言った言葉がもはや自分の言葉のように、一体化してくるんです。自分でも何かやろうとする度に「できっこない」と思ってしまう。
--お母さん特有の考え方が、ふとした瞬間に頭にもたげてしまう?
りつ子(仮名):私自身もさして突飛なことをしようとしているわけでもないのに、「できっこない」と思ってしまうのは、母の言葉がやっぱり自分に残っているんだなと。それでも何かしら新しいことをしようとすると、今度は昔、母に言われた時に感じた「一歩踏み出すことは怖いことだ」という気持ちがよみがえる。
子どもを支配する感情ってすさまじいじゃないですか。母の後遺症として一番残っているのが、その感情の部分ですね。
--自分の感情よりもより深い部分にお母さんの感情がある感じですね。
りつ子(仮名):そうです。母は既に亡くなっているのですが、まるで自分が感じてきたかのように、私はお母さんの考えでずっと生きてきてしまった……。でもそれを自覚できたのは、最近なんですけどね。
宮澤:母親の価値観が乗り移るんですよね。些細なことですが、母が「洗い物をする時に、お湯を使っちゃダメよ」と言っていると、大人になってから「私は洗い物にお湯は絶対に使いません」という考え方になっちゃう。
--何気ない「毒親」の言葉が細胞レベルで浸透していますね。
宮澤:本当に細胞レベルで言葉が刷り込まれるんですよ! わかります。
りつ子(仮名):ウチの母は何かするたびに「家から近いかどうか」に強いこだわりがあったみたいで。進学にしても、遠くて交通費がかかるところはダメだったんです。だから、未だに電車に乗る時も、自宅から遠いところへすんなり行けない自分がいて。あとJRと地下鉄だったら、無意識に安いルートで行こうとしてしまうんです。
自分も子どもに「毒親」の振る舞いを無意識でしてしまっているかも
--りつ子(仮名)さんとお母さんの関係性はどんな感じでしたか? 先ほど、お母さんの支配下にいた話がありましたが。
りつ子(仮名):私が母のお母さんみたいな感じです。母は「子どもは親を助けるもの」という観念が強い人でした。あと困ったのが、母は八つ当たりが多かったことです。とにかく私にバーっと当たり散らして、スッキリする。
私自身、息子を育てていると、思わず気持ちを当たり散らしそうになる場面が出てきます。そんな時、「ああ、ウチの母は私に大声でバーッと言ってスッキリしていたんだろうな」と感じますね。普通、そういうマイナスな気持ちは、自分の中で処理するものだと思うのですが。
--こういう表現はよくないのかもしれませんが、りつ子(仮名)さんがお母さんの心の爆弾処理班になっていたように見えます。
宮澤:心の爆弾処理班というのは、すごくわかる気がする……。
りつ子(仮名):認めるとなんだか悲しいけど、そんな感じですね(笑)。
--りつ子(仮名)さんと6歳の息子さんとの関係はいかがですか? お母さんの二の舞にはなるまいと思って接していますか?
りつ子(仮名):「親からされてイヤだったことを息子にはしないぞ」と思えるんですが、今、一番実感しているのは「自分が心の痛みとして直接被害と感じていない内容には気づきにくい」ということです。
だから、「子どもへの無関心」にはなかなか目を向けにくいですね。例えば、庭で息子を遊ばせている時、他のお母さんは子どもと一緒になって遊ぶのに、私は「じゃあ、庭で遊んできなよ」という感じで、自然と放置気味になる。そういう些細な場面で「アレ? 私、なんかおかしいぞ」という気持ちがこみ上げてくるんですよ。
子どもの将来をいい方向に導いてあげるような親の役割ってあるじゃないですか。でも私は母に進路などの面で放置されて、自分の親を教科書的に見られないので、息子をどう促してあげればいいのかわからないんですよね。
でも、自分の子が男の子で救われた面もあります。
--お子さんが男の子で良かった面というのは?
りつ子(仮名):これは「毒親トラウマあるある」なんですが、女の子だと小さい頃でもおしゃれをしようとするじゃないですか。でも私は母からすごく髪を短くされて……。
一同:あ〜〜〜〜。ありますね〜。
りつ子(仮名):母から見て娘の私は同じ女性同士なので、ライバルになってしまっていたようです。要は女の子として、母から尊重されない。そして、ライバルになるといけないので、私は髪の毛をこんなに短くされたんだとか、娘の髪を洗うのがそもそも面倒くさくてこうされたんだとか、だんだん母の気持ちに気づいてしまうんですよ。
だから今でも近所のかわいい女の子を見ると、「私があの子の親だったら、あんなにキレイに結いてあげられない。自分が大事にされた経験がないから、上手くしてあげられない」と思って、「うっ」と息がつまりそうになるんです。
でも男の子を持つと、ライバル心や自責の念が湧き上がってこないので、多少感情的に怒ったとしても、右から左へスーッと抜けていく。だいたい私の話を聞いていないんです(笑)。そこが、男の子だと楽だし、良かった面ですよね。もし娘がいたら、私も知らず知らずのうちに自分と同一視してしまったかもしれませんね。
後半は、「ひだまりサロン」で実際に行われている会員同士のコミュニケーションや、あかり(仮名)さん、りつ子(仮名)さんがどのようにサロンを利用しているのかなど、具体的な内容に迫ります。
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